= Fake it to the ... 偽ランディ事件 =


 1980年代の終り頃から約10年間、EAGLESのメンバー、ランディ・マイズナーの名を語り詐欺を続けた男がいました。

 52歳(逮捕時)になるアトランタ出身のLewis Peter Morganが最初に犯した詐欺行為は、1988年のドン・ヘンリーを装うってのものでした。この時は、直ぐにラスベガス警察に逮捕されましたが、保釈中に失踪しました。 多分、モーガンはこの時に学習したのでしょう、ドン・ヘンリーでは有名過ぎると。実際、ランディに扮さなければ、もっと早く捕まっていたと思われます。

 その手口は、実に巧妙で、ランディを知り尽くし、音楽業界を熟知していなければできないようなものだったそうです。


Case1

 1990年10月、29歳になるジュディ(仮名)はランディ・マイズナーと名乗る男に恋をしていました。

 事の始めは、ウェスト・ハリウッドに住むジュディが、ビバリーヒルズの外れにある、洒落たホテルのバーで飲んでいた時でした。彼女はそこで40半ばと思われるポニーテールをした男と出会い、話し掛けられたのです。男はランディ・マイズナーと名乗り、彼の所属するロックバンドがツアーの為に新しいアルバムを録音している最中だと語りました。更に意気投合すると、週末にサンディエゴに行こうと彼女を誘ったのです。

 甘い言葉に巧みな話術、ラスベガスのカジノでギャンブルをした際には、男は絶えずロック・スターとしての振る舞いを忘れなかったそうです、ただ一つ財布を無くしたと告げたこと意外は。

 結局、彼女は2週間その男と過ごしました。その間、レンタカー代から、食事代、服や宝石などの買い物代などを含め、彼女がカードで払った代金はおおよそ$3,000だったそうです。

 ラスベガスから戻った後、男はジュディに電話を掛け、急遽ニューヨークに行かなければならなくなったことを告げ、持ち合わせが無いと言って航空チケットの代金までも彼女に払わせ、姿を消すのです。空港で見送った帰り、そこで彼女はランディのアルバムを見つけ、全てを知ることとなります。

Case 2

 1991年8月、テレサ(仮名)はオレゴン州ユージーン行きのグレイハウンド・バスの中でモーガンと出会いました。21歳の彼女は、ヨーロッパのポストカレッジから夏期休暇で帰省途中でした。

 一方、モーガンはギターを持ってポートランドでバスに乗り、首には白々しくも鷲のペンダントを下げていました。モーガンは途中下車時に彼女に声を掛け、ランチを奢りました。彼女は若すぎる為、ランディの名を出してもEAGLESそのものを知りません。ですが、それで怯むことは無かったようです。

「何を一番したい?」

「お金を使うことね」

「僕はそれを作っている」

「だったら何でこんなバスに乗っているの、金持ちは乗らないは」

「ファンは、まさか僕がバスに乗っているなんて思わないだろ、だからいいのさ」

 男に疑いを持ちつつも、巧みな話術で心を奪われたのかもしれません。

 モーガンからラスベガスへ誘われましたが、この時は先に家族と会わなければと彼女は断りました。その時はそれで別かれましたが、その後もラスベガスのスターダスト・カジノから投函されたランディ・マイズナーのサイン入りの手紙を受け取り、モーガンのことを心に留めるのでした。

 それから6ヵ月以上経った頃、テレサはランディがサンディエゴのカフェで演奏することを知りました。また会える、そんな気持ちで、彼女は車を飛ばしたのでしょう。

 舞台に本物のランディが現れた時、彼女はその男が自分の知る男と違うのを知りました。

 ショーの後、確かめるべく本物のランディと会い、全てを聞かされたのです。

 彼女の場合、被害は無かったのでラッキーなケースでした。

Case 3

 モーガンにとって、偽マイズナー詐欺は、好きなギャンブルの為でもあったのです。

 ネバダ州リノのカジノで11年間カードのディーラーを勤めているバーバラ(仮名)がモーガンに出会ったのは、1993年か94年頃でした。

 カジノ“サーカス・サーカス”の彼女の仕切るテーブルで、モーガンはいつもブラック・ジャックをしていました。掛け金額は、5ドルから多くて25ドルとたいして大きくなかったそうです。

 ある時、彼は音楽関係者の名刺を大量に床に落し、自分はEAGLESのメンバーでランディ・マイズナーであると彼女に伝えました。

 実は、モーガンはランディの名で、カジノのVIPカードをたくさん持っていました。カジノの責任者に、ランディ・マイズナーであることを告げ、それらしく振舞い、優遇を受けていたのです。時には、EAGLESの名だけでなくPOCOの名前まで出し、アルバムや曲のタイトルまで口に出していたそうです。バーバラは、いつも一人でいるモーガンに疑問を持ちつつ、何度か昼食に行き交友を深めていきます。

 ある日、彼女はモーガンがギャンブルに負けて金が無いことを聞くと、冬物のジャケットを彼に買い、お金を貸しました。そして、それ以来モーガンから連絡が途絶えました。彼女は、レコード会社に連絡を取りメッセージを託しました。

 バーバラのメッセージを見た本物のランディからの連絡により、彼女は騙されていたことを知るのです。その後、彼女は地元警察に通報し、またカジノにもこのことが広まった為、モーガンは、それ以来リノのカジノに出入りできなくなりました。

Case 4

 1994年の再結成、そしてそれ以降の活動にもランディは加わっていませんが、モーガンはそれでもそれから捕まるまでの4年間、詐欺を働き、楽器や音響装置を詐取し続けました(但し、捕まる最後の2年間は詐欺をしていないとの弁)。否、再結成に加わり、MTVに一緒に出演していたら、被害は大きくならなかったかもしれません。

 1995年のことです。ブライアン・ムーア・ギターはニューヨークのブルースターを拠点とする楽器メーカーで、創業わずか2年ながらも、その堅実な仕事で評価を得ていました。彼らの製造するギターは、1本$2000〜$4000で、プロも手にする高級楽器の範疇です。モーガンはそこにつけこんだのです。

 以前ブライアン・ムーア社では、エディー・ヴァン・ヘイレンとのタイアップを試み、高額な契約金とロイヤリティーで諦めたことがありました。そこでモーガンは、社長のブライアン・ムーアを巧みに口説いたのです。“目の前の男、ランディ・マイズナー、Eagles、ギターリスト、ジョー・ウォルシュ”、ついついムーア氏も熱くなってしまったのです。その結果、モーガンは約30万円相当のギターをせしめることに成功しました。

 ギターをロスのホテルに届けさせ、手に入れるとモーガンは即座にリノの楽器店“Maytan Music”に持ち込みました。勿論、そのまま買い取らせても二足三文ですから、ランディの名前を使ってブライアン・ムーア社を売り込みました。この時、交渉に当たったマリアンヌ・ドッドはEaglesをよく知らなかったのですが、ムーア社のギターの素晴らしさと、店員が古いEaglesのアルバムを持ち出して間違い無いと判断した為、モーガンに$3,200の小切手を渡してしまったのです。

 モーガンは小切手を現金化した後、姿を消しました。


 ことの顛末は、モーガンがGMP(Gary Moline Products)から詐取したカスタムメイドのギターからでした(モーガンは何度か楽器を詐取しています)。

 1997年中頃のことです。GMPは質入されたギターを買ったという者から、楽器の問い合わせの電話を受けました。その楽器がどうやらカスタムメイドであると思われたことから、シリアルナンバーを電話の主に調べてもらったのです。モーガンはGMPからこのギターを搾取する際に、楽器のシリアルナンバーにランディの頭文字、RMを入れるよう指図していたのです。GMPは、それを確認すると警察へ通報しました。

 そのギターは500ドルで質入れされていました。実は、この時モーガンは決定的なミスを犯していました。質入れのレシートに、ランディの名ではなく、モーガン自身の実名と住所を記載し、さらには左手の指紋まで残していたのです。

 その翌年、1998年1月12日にR&R Hall of FameでEaglesの新旧のメンバー7人が初めて1つの舞台に立つという出来事がありました。モーガンの逮捕はそれから少し経った2月18日のことでした。

 カリフォルニア州エメリービルのオークス・クラブ(カード賭博場)に現れたところを逮捕されたのです。

 EAGLESの再結成については、ランディのコンサート会場に騙された女性がアイスピックを手にして来たこともあったことから、DHとGFはそういう事態を嫌い、ランディを再結成に誘わなかった、なんていう冗談話もあります。



 さて、この話には落ちがあります。

 2002年春、ランディ・マイズナーはあることで逮捕されました。

 その逮捕から遡ること2ヶ月前、あのモーガンが刑期を終えて出所したのです。このことを知ったランディは、モーガンと偽ったのでした。

 バーでご婦人に酒を奢ってもらい、音楽フェスティバルで無償の備品やバックを貰った程度で、逮捕はされても大事にはならなかったようですが。。。

 ランディ曰く“他人になりすましてみる気分を味わいたかった”、だそうです。




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