= 崩壊前夜そしてその後 =

(2001/12)


 下記はブート「The Boys of Summer」の付録冊子に書かれていたものの訳です(訳者:ラム)。英文も訳文も2001年9月25日にBBSに投稿されたものです。


ヘンリーは1990年2月21日に、グラミー賞のベストロックボーカルを獲得しました。

今までイーグルスの再結成について話しはあったよ。
僕は楽観的なんだけど、何かを確認する立場にないからね。
僕が言えることは、解散した時に燃え尽きてしまったってことだね。
アルバム「ロングラン」を作っていた間、憎しみ、混乱、怒りがたくさんあったからね。
正直言って、僕は終わるまで待てなかった。離れること、皆も同じ方法を感じていたんだと、僕は確信している。

最近グレンやティムといくつかのショーでプレーした、昔に戻ったようだった、以前より熱く感じたね。
メンバーだったジョー、フェルダー、ランディや他の連中にはアプローチはしてないんだ。だから、ちょっとまだ語るには早いんだ。


 上の通り「ロングラン」製作時の彼らの精神状態は目茶目茶だったようです。

 この時期のバンドの実権はグレンとヘンリーが握っていたのは周知の事実ですが、誰もがバンドの看板スターとしてヘンリーに気を遣い、人間関係がギスギスしたものになっていたようです(ヘンリーが完璧な物を求め、何度も録音が繰り返されて疲れ果てたって話もありますね)。

 EAGLESのボーカリストというと、直ぐにヘンリーの名前が出てくると思いますが、実は「One of these nights」以外では、アルバムから最初にシングルカットされた曲は全てグレンのボーカル曲なのです(日本では「Hotel California」は、同名アルバムのファーストシングルですが、本国では「New Kid in Town」が先なのです)。

 バンドで1番目立つのはボーカリストですから、グレンはもっと歌いたかったのかもしれません。ビートルズのアメリカ公演の時、周りの女性が黄色い悲鳴をあげて次々と倒れていく(失神)のを見て、女性にもてるにはミュージシャンに限ると思ったそうです。

 それに反してグレンのボーカル曲は減り続けます。ギターリストとしてのグレンの位置も下がっていきます。そういった鬱憤がメンバーの中に溜まっていったのでしょう。

 この状態は解散後も続き、ウォルシュが彼のステージで頻繁に「Hotel California」や「Life in the fast lane」などを歌っていることを知ると、「自分の歌だ!!」とヘンリーは怒りだしたそうです。裁判にまで持ち出しそうな勢いだったそうです。また上の1990年の再結成話が流れたのも、ウォルシュがうっかり話を漏らしてしまってヘンリーがヘソを曲げたのがどうやら真相のようです。この時はかなり計画が進んでいたらしいですが。

 それから再結成まで4年を要し、ファンにとっては、いやはやなんとも迷惑な話です。



上記の逸話はネットで検索すると、かなり拾えます。そういったものに自分の見解を足したもので、真実は当事者のみ知るです。まぁ、肩の力を抜いて読んでいただけたら幸いです。



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