= Don Felder Story (2) EAGLES参加・解散 =


 Felderが初めてBernie以外のEaglesのメンバーと出会ったのは1972年のことでした。EAGLES初のボストンツアーの時、Felderはコンサートの合間にBernieと会い、彼とギターセッションをしています(言葉の代わりにギターを引き合ったといったところだと思います)。Glenn はFelderのスライドギターを気に入り、彼にロスでのセッションの仕事を紹介したのです。

 カリフォルニアでの最初の仕事はDavid Blueのアルバムです。アルバムが完成するとCrosby&Nashの前座ではありましたが、Blueのツアーにそのまま雇われました。9ヶ月に及ぶツアーが終わると、今度はNashからソロツアーのギターリストとして誘われました。ロスに移ってからの彼の仕事は順調に進んで行きます。そしてNashのツアーの準備ができた頃、運命を決める1本の電話を受けました。それは、EAGLESからの“Good Day in Hell”のスライドギターの依頼でした。それをこなすと翌日にはバンドの参加を求められ、EAGLESに加わるのです。

 残念ながら、この時期のEAGLESの内情は悲惨であったようです。時代の流れだったとはいえ、今までバンドの色であったカントリー色を作り出していたBernieが脱退し、更には長いツアーからの疲れやバンド内の軋轢からランディも抜けていくことになります。そして皮肉にもFelderはカントリーロックとして既に確立していたバンドに、より濃いR&Rの血を注いだのです。DoobieやPOCOのようにAOR路線に変更するバンドが多かった中、EAGLESのこうした選択は正しかったと言えるでしょう。

 FelderがEAGLESに参加し始めた頃と時を同じにして、彼等のプロデューサーであるBill Szymczykを介してJoe Walshと交友を深め始めていました。当時、BillはEAGLESの他にもWalshのプロデューサーをしていましたから、同じスタジオでアルバムを録音する合間に顔をよく合わせていたのです。WalshもEAGLESを気に入っており、Bernieがバンドを放棄した時は即座に合意を得たそうです。Danのアルバム作成やWalshのアルバム「You Can't Argue With a Sick Mind」で、Walshと音合わせをしていたことが、結果としてお互いのオーディションになったようです。FelderはそれがJoeのオーディションのやり方なんだと語っています。当時、ファンはWalshのサウンドはヘビー過ぎて合わないと指摘していましたが、Felderは、Walshから多くの事を学び、互いに多くのアイディアを出し合い、バンドとしても更なる成功を得ることになったのです。

 新しい布陣で出来上がったアルバムからのタイトル曲「Hotel California」、原曲(原案)はFelderによって書かれた曲です。Felderは当初Eマイナーでデモテープを作り、皆に渡しました。HenleyとGLENNの3人で詩を加える作業をしていた時、Bマイナーの方が合うということになり、Bマイナーで作り直したのです。

 アルバム「Hotel California」の驚異的な成功は、結局彼らの首を絞めることになります。バンドは大きくなり過ぎ、途方もない質の高いアルバムを作らなければバンド関係者もファンも納得しない状態に陥ったのです。それが絶えがたいプレッシャーになり、アルバム「The Long Run」作成の最後の頃にはストレスは極限に達していたのです。最終的にはメンバーの創作や性格の違いがバンドの崩壊を導いた形になりました。

 誰もがバンドの最悪の状態でうんざりしていたといえ、実際に直面した時、この世の終りに直面したような茫然自失な気持ちに陥ったそうです。少なくともFelderはそんな状態であったと語っています。バンドに引導を渡したのはGlennでした。ライブアルバムの作業の半ば、彼はバンドの皆に告げたのです。

 “これ以上、EAGLESで仕事したくないんだ、ソロ活動をするよ”。



Felderが参加したDavid Blueのアルバムは、多分「Nice Baby & the Angel」だと思います(未確認)。このアルバムには「Outlaw Man」が収録されており、同曲をGraham Nashがプロデュースしています。
Bernieは、録音の途中、サーフィンをしてくると言い残してスタジオを離れ、戻らなかったという話を聞きました。
アルバム「The Long Run」がリリースされたのは79年暮です。「Eagles Live」は翌年の80年ですが、正式に解散を表明したのは82年5月で、解散の翌日にGLENNはソロアルバム「No Fun Around」をリリースしています。同年に数ヶ月遅れでHenleyが「I can't stand Still(まだ立ち直れない)」をリリース。EAGLES解散を信じられない反面、認めなければならない、私(ラム)の高校生活最後の年でした。




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