= ウェストコーストサウンドを支えたビジネスマン =


 Irving Azoff、皆さんはどんなイメージが有りますか?

 EAGLESのロードマネージャー、MCAレコード社長。。。。

 Eagles や他のミュージシャンにばかり目を向けがちですが、この人もまた、EAGLESとともにウェストコーストでアメリカンドリームを実現させた1人です。



 Azoffはイリノイ州で、音楽手配の代理店を経営する傍ら、まだローカルバンドだったREO Speedwagonのマネージャーをしていました。

 1970年頃、近所で弾き語りのアルバイトをしていた、まだイリノイ大学の学生であったDan Fogelbergに目を留め、プロになることを勧めます。Danが大学を中退しそれを決意すると、LAまでの旅費を渡し、Azoffは彼のマネージャーとなるのです。

 Danの1枚目のアルバムはCOROMBIAからリリースされますが、セールスが思わしくなかったこともあったのでしょう、Azoffが彼の為に作ったのがFULL MOONレーベルの始まりです。以降Danは1990年前半まで在籍します。レーベルのデザインまで、彼が細かく決めて、即効で実行に移したそうです。

FULL MOONレーベルは、多分アーティスト単位でレコード会社と契約していたのではないでしょうか。DanはEPICでしたが、元シカゴのボーカル兼ベーシストPeter Ceteraのソロアルバムは、同じレーベルでもワーナーブラザースから出ていたような記憶が有ります。



 その後、Azoffはアーティストのマネージメント会社(日本で言う芸能プロダクション)を作り、EAGLESと契約して、彼らのロードマネージャーとなり、一緒にロードに出ます。
 一方、ASYLUMレコードの創始者であり、後にGaffinレコードを作るDavid Gaffinの元で経営学を学ぶのです。(面白いことに、そのDavid Gaffinも、CSN&Yのマネージャーをしていた時代があり、彼等をアトランティックレコードに売り込んだのがGaffinだそうです。)


 彼の快進撃は更に続きます。

 最新のロックミュージシャンの曲を集めた映画のサウンドトラック盤は、今でこそ珍しくもないですが、このスタイルを広めたのは、何を隠そうAzoffなのです。「FM(78)」「Urban Cowboy(80)」「First Times at Richmond High(82)」と自分のマネイジメントするアーティストを使い、次々と手掛けていきます。勿論、それ以前にだって同等のOSTはあったはずですが、駒が多い分、成功に結びつけることができたのです。そして83年にMCAレコードのチェアマンになり、最終的には社長となって89年に退社します。(定年・引退ではありません。)


 MCA時代に、斜陽のASYLUMを首にされたEAGLESのメンバーを救っていきます。AsylumがGlenn Freyの2枚目のソロアルバムを拒否し、彼との契約を打ち切った時に、Azoffが救ったのは有名な話ですね。それもあって、彼は、どちらかというとFreyと仲が良いようです。(その頃のHenleyは、Freyと仲違いをしていた為なのか、David Gaffinにつきました。)


 MCA退社後は、ワーナーブラザースとジョイントベンチャーでGIANT RECORDSを設立し、現在はその社長です。
 確か、Timothyの「Feed the Fire」では、自己レーベルを作ってGiantレコードから出していますね。




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