= Danny Korchmar
プロデューサー&ギターリストへの道 =
ソロアーティストになったGlenn Freyの相棒はJack Tempchin、そしてDon Henleyはと言えば、私はJDサウザーよりも彼を最初に思い出します。
彼自身、ソロアルバムを2枚今までリリースしていますが、プロデューサー若しくはギターリストとしての活動をメインにしています。もっとも70年代初頭にはキャロル・キングやジェイムス・テイラーのバック・ミュージシャンとして名が知れ渡っていました。Henleyのようなソフトなロックのアーティスト達は、彼のギターを好む人が多いようです。
Danny Korchmarは1960年代ニューヨークで活動を開始、ローカル・バンドのキング・ビーを経てジェイムス・テイラーとフライング・マシーンを結成します。残念ながらこのバンドはJTの麻薬中毒の為、デビューするチャンスをつかめませんでした。その後JTは療養も兼ねてイギリスに渡り、ピーター&ゴードンのピーターアッシャーに見初められ、アップルレコードからソロデビューをします(*但し諸事情により失敗)。
さてKorchmarですが、68年にキャロル・キングの2番目の夫チャールズ・ラーキーと出会い、キャロルも含めザ・シティと言う名のバンドを結成。ここでも彼女のステージ恐怖症からデビューには至らず解散。しかしこのバンドが後のJO
Mamaに発展します。
JO Mamaでは2枚のアルバムを残していて、ソロアルバム「Kootch(73)」と一緒にワーナージャパンの名盤探検隊シリーズでCD化されているので、聴くことが出来ます。
そして、ジェイムズ・テイラーとキャロル・キングのソロ再デビュー。この2人のアルバムが大ヒットすることで、バックで活躍したKorchmarにも光があたるのです。ウェストコーストのミュージシャン達は、その後好んで彼を使うようになり、ソロアーティストよりもプロデューサー&ギターリストとして脚光を浴びるようになります。
彼の2枚のソロアルバム、「Kootch」と「危険な遊び(80)原題不明」について、インターネットで評を調べると、残念ながら、彼のボーカルに難点があり不評されています。どうやら、そこに、プロデューサー&ギターリストの道を選んだ答えがありそうです。
日本にも、92年にアートガーファンクルのバックバンドの一員として、ラスカンケルらと来日しています。
* | JTはアップルレコードの第一号契約アーティストでしたが、アップルレコードの内紛で、ろくなプロモートを得られなかったそうです。勿論、アップルレコードとはあのBeatlesのアップルレコードです。 |
* | キャロル・キングは60年代にソロ作品を発表しています。60’sのガールポップ集をこまめに当たれば見つけられると思います。但し、リトル・エヴァの「ロコモーション」のヒットのように、ライターとしての知名度が上でした。勿論、この時期には70年代の彼女の色はありません。 |
* | DannyはGlennのファーストソロアルバム「No Fun Aloud」にも参加しています。 |
* | JO Mamaのサウンドは、ファンキー色も取り合えずありますが、今ひとつ中途半端で、同時期の脚光を浴びた数々のバンドと比較しても、色褪せてしまっている気が個人的にはします。 |