= 時代を担った少年達
アメリカン・ルーツ・ミュージック =
アメリカのルーツミュージックの1つとも呼ばれている“ブルーグラス”、それは一体どんな音楽なのか?これは非常に難しい定義のようです。
ブルーグラスはアイルランドなどの民族音楽がルーツとなっている為、流行歌的なカントリーと比べると民謡的な要素が強いと言われています。楽器は電気楽器やドラムを使わず、カントリーでも使われているマンドリン・バンジョー・フィドル・ドブロなどが主で、よりリズミカルでコーラスの効いたサウンドを形成しています。ブルーグラスの名前の由来は、Bill
Monroeが1946年に結成したバンド“BILL MONROE & HIS BLUEGRASS BOYS”からきています。
ブルーグラス界のヒーロー的ギターリスト、Clarence White(1944-1973、Byrds中後期の中核を担ったギターリストでもある)。彼の参加した伝説のバンドKentucky
Colonels(64年頃)と並ぶブルーグラスバンドと賞賛されている Scottsville
Squirrel Barkers (以下SSBと省略)があります。このバンドは、その後有名になる多くのミュージシャンが在籍していたことでも知られています。Chris
Hillman(1944)、Bernie Leadon(1947)、Kenny Wertz(後にFBB等に参加)、Larry
Murray (Byrdsの「Bugler」の作者)らが在籍していました。
Scottsville Squirrel Barkersというのは、Hillmanがマンドリン奏者として加入する以前から、ブルーグラスを演奏するサークルとして存在していました。Hillmanは彼のハイスクール最後の年に加わり、段々と先輩達が抜けて、最終的に唯一のアルバム「Blue
Grass Favorites(リリースは63年です)」のメンバー“Chris Hillman (mandolin),
Kenny Wertz (banjo), Larry Murray (guitar),Gary Carr (guitar) ,Ed Douglas
(bass)”に固まったのは61年か62年の頃だったようです。Bernie は62年にKenny
Wertzの代わりに加わり、キャリアをスタートさせます。
60年代初頭のアメリカでは、12歳から21歳ぐらいまでの少年が、各地で開催される音楽フェスティバルに出演して腕を競いあって、ミュージックシーンを作り、支えていたそうです。Hillmanも、1日8時間のギターの練習以外は、ローカルTVで放送される歌番組をチェックするなどして、常に音楽に没頭していました。
アルバム「Blue Grass Favorites」は、自分達でレコードを製作して、たくさん売ってみたいということから、レコード会社の反対を押し切って、当時Bグレードと呼ばれていた低質のビニールでプレスされ、スーパーマーケットのみで驚きの超格安価格(US$0.79)で販売されました(低質のレコードだった為、スーパーにしか置けなかったようです)。利益が出るはずも無いですから、勿論ロイヤリティは無しです。
再発されたCD(現在は廃盤)のライナーノーツによると、アルバムタイトルの由来は、映画などのカントリーヒットソングをカバーしたところから付けたそうです。このアルバムを聴くと、収録時間は僅か18分程度と短いに関わらず、演奏力の高さに驚かされます。
その後Hillmanは、以前からローカルTVに出演していたGosdin兄弟を看板にしたGolden
State Boysと交友を持つようになり、誘われて移籍し、SSBは解散します。Golden
State Boysは“The Hillmen”と名前を変えてアルバムを1枚作成しますが、この録音に立ち会ったJim
DicksonにベーシストとしてHillmanはByrdsに引き抜かれることになります。Hillmanはベースの経験は有りませんでしたが、彼のマンドリンを聞いたDicksonが、彼ならベースもできるだろうとスカウトしたそうです。
SSB解散後、Bernieはフロリダに移り、Don Felderと合流。ハイスクールを卒業後はLAに戻り、Larry
MurrayのHearts & Flowersに参加します。その後H&FのベーシストであったDavid
Jacksonと一緒にDillard & Clarkに参加、さらにはFBBへと、目まぐるしくバンドを渡り歩くことになります。下記は70年初頭までのラフなBernieの活動記録です。
62-63 Scottsville Squirrel Barkers
63-66 Continentals-Maundy Quintet他
67-68 Hearts and Flowers
68-69 Dillard & Clark
70-71 Flying Burrito Brothers
Kenny Wertzは70年代に入りCountry Gazetteというバンドを結成しますが、このバンドはHillman最後の時期のFBBに吸収され、FBBのアルバム「The
Red Hot Burritos」 (A&M, 1971)で彼の名を見ることができます。その後Country
GazetteはFBBから離れてユナイテッドアーティストから72年にアルバムを出します。Kennyは直ぐにバンドを離れてしまいますが、バンド自体は存続を続けていたようです。Kennyは87年にバンドに戻り、現在に至ります。
Larry MurrayはByrdsが彼の曲「Bugler」を取り上げたことなどにより、70年代初頭にはソングライターとして評価注目を浴びますが、その前に先に述べたHearts
& Flowersを67年に結成します。
Hearts & Flowersのサウンドは、フォークロックからカントリーロックへの過渡期のサウンドと説明されているようですが、今聴けばロック色もカントリー色もありません。ロックという言葉が形容されるのは、エレキギターをもって鳴らす音の全てがロックと呼ばれていた時代である為、仕方のないことなのかもしれません。
日本ではVIVIDが輸入盤に日本語解説を足して販売しましたが、その後さらにUKで未発表曲を足してダブルCDで再発されています。Bernieも数曲で曲作りに参加していて、名前がクレジットされています。
今年、2003年になり、SCOTTSVILLE SQUIRREL BARKERSが再結成されるきっかけになったのは、40年前に格安価格で売られたアルバムが近年CDで再発され、それを手に取って懐かしみ、HillmanがBernieに声を掛けたことからだそうです。
そのBernieも、この夏に“Mirror”というタイトルのアルバムをリリースすることを発表しています。この10年余り、彼は何を思ってミュージックシーンを見てきたのか、そして彼の現在の目指す音楽が何であるのか伺える作品であると思います。
カントリーは、1990年代になりニューカントリーと呼ばれる担い手達によって大きな変革がもたらされ、70年代にウェストコーストサウンドと呼んでいた分野やカントリーロックまでを包含するようになり、若しくはカントリー歌手として色分けされている歌手が歌う歌であればカントリーと呼び難い曲まで含む場合があります。
同じくブルーグラスにも、電気楽器を使って演奏するニューブルーグラスという分野が確立されつつあります。
* | Bernie Leadonは1947年7月19日アメリカ中部のミネソタ州ミネアポリス生れ、15歳の時に家族と一緒にLAに移って来たそうです。Chris Hillmanは1944年12月4日LA生れ。 |
* | 私はLarry Murrayについては全くの無知なのですが、一応、カントリーロックの旗手の1人だったようです。71年に「Sweet Country Suite」というソロアルバムをリリースしています(日本ではVIVIDからCD化されています)。今はプロデューサーとして有名なようです。 |
* | CROWNレコードには、SSBのレコードが残っており、未だ聴くに堪える音を出しているそうです。結局はCDよりビニールレコードの方が長期保存ができるということなのでしょう。CDは錆びて駄目になる為、長期保存に向かないようです。 |