= CSN&Y あふれ出たYOUNG =


 いくつかのバンド、ミュージシャンは、常連さんに詳しい方がおられるので、半端な事は書けず、避けてきましたが、基本資料を「I Love Eagles」に蓄積するという使命も込めて、非難覚悟で取り上げることにしました、暖かく見守りください。

 CSN&Y、この大物ユニットは、通常考えられるグループ形態とは違い、各自が新曲を持ち込み、ボーカルを取り、必要に応じてコーラスを加えていた。コーラスの綺麗な曲ばかり目立ちますが、実際は個々のエゴのぶつかり合ったユニットだったのかもしれません。その証拠に、CS&Nのリユニオン時のアルバムは、持ち込んだ曲数が多い者がリーダーシップを取った、良く言えば民主的なグループでした。リユニオンを抜かした唯一のスタジオアルバム「Deja Vu」では、Youngは考えの違いから長期間の録音を嫌い、実際は半分の5曲にしか参加していないそうです。

 CrosbyはBYRDSのオリジナルメンバー。StillsはBUFFALO SPRINGFIELDの実質リーダーであり、既にソロ・アーティストとしても地位を確立していました。そしてNashは、リバプールサウンドの旗手でビートルズのすぐ後に続くホリーズの看板スターでした。

 Youngの加入は、CS&Nのサウンドにキーボードを加たいという考えからでした。

 最初にNashがSteve Winwoodに声を掛けますが、クラプトンとのユニットBlind Faceが進行していて、Winwoodはそちらを選んだのです。そして次にStillsが旧友Youngを誘いました。Stillsがキーボードを担当するという考えだったそうです。

 今見ると、どうしてもYoungの色が他の3人と違って見えてしまいます。Young以外はコーラスの綺麗なバンドに在籍していたせいも有ります(Stillsの場合は“Oh Go-Go Singers”を指します)。ハーモニーだけならCS&Nで足りていたはずです。その為に、当初Youngの売名行為とまで言われたそうです。ところが、Youngはこの時期にめきめきと頭角を現し、CSN&Yの器からはみ出してしまうことになるのです。

 ライブ盤「4-WAY Street」は既にグループとしての蜜月を過ぎていた為に、CSN&Yと各自のソロという2面で楽しむことができます。一般的に言われているのは、1枚目はアコースティックで、2枚目がエレキサウンドだそうですが、全体的にYoungが物凄く目だっています。収められた曲“On The Way Home”はBuffalo springsfield のラストアルバム「Last Time Around」で、YoungがRichie Furayに歌わせた曲。Richieバージョンは明るく弾んだ印象がありますが、Youngの弾き語りも落ち着いていますがカッコいいです。“Carry On”はStills作でCSNの名で発表した曲。Timothy B. Schmitのカバーは完璧でした、本当にこの手の1人アカペラはTIMは上手いです(私はTimのバージョンが好きです)。Nash作曲の“Teach Your Children”は映画「小さな恋のメロディ」でエンディングに使われ、当時の日本のフォークファンから支持された曲です。但し甘い曲な為、賛否が別れます。

 このライブアルバムを発表した時は、CSN&Yは解散状態にあり、その後もYoung抜かしたメンバーで息抜き的に作品を発表しています。いろいろな裏話があるようですが、YoungがCSNに再度加わるのは88年の「American Dream」まで待つことになります。また、99年の「Looking Forward」も皆さんの記憶に新しいところと思います。



●私談

 私が洋楽に興味を持った時は、既にCSN&Yは伝説のユニットと化していましたが、凄いと思うのは、2枚のアルバムと1枚のシングルで「So Far(74)」というベスト盤を作ってしまい(メンバーの反対を押し切ってレコード会社のアトランティックが出したそうです)、さらにアルバムチャート1位を記録してしまったことです。
 もっとも我がEAGLESの“GREAST HITS 2”も実質2枚のアルバムから作っていますが。


“Oh Go-Go Singers”といのうは学生のコーラス・サークルの趣です。正直言って聞く価値は無いでしょう。
マージビート・リバプールサウンドで1番ヒットを飛ばしたのは、間違いなくビートルズで(但し、純粋なマージ−ビートの曲は「Please Please Me」ぐらいかもしれません)、次にホリーズ、DC5、ゾンビーズ、シンギングブルージーンズ、サーチャーズなどが続きます。Nashは、カバーやソングライターの曲ばかりをやるのに反発して脱退したそうです。ホリーズはその後70年代まで活動を続けています。
Steve Winwoodは14歳の時、スペンサー・ディビス・グループでデビューし、キーボードも弾いていました(私は、Trafficは知りません)。そのボーカルは羨望の的でした。但し、彼も他の3人とは色が違い過ぎ、ユニットは長続きしなかったでしょう。





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